くだらないの中に

推し活と日常

ロスが来ない件

みなしょー地上波最終回から一週間たった水曜日。

 

なぜかまだロスになっていない自分に驚いている。

ロスが来るのが恐ろしすぎて、恐らく自己防衛している。

 

まだ年末に円盤もあるし、公式からの供給は少なくなるもののきっとまだ何かしら動いてくださるんだろうなというのが見えるのでそこまで寂しくないっていうのもあるんだけど。

 

S2決まる前から日々みなしょーを観返しては新しい発見とか新しい感情に出会ってきたから、S2を観返すのもそうだし、改めてS1から観返してまた新しい感情に出会っていくことの楽しみが大きいから当分ロス来ない気がしてる。

S2ももう何回も観たけど、S1に比べたらまだ全然堪能できてない感がある。

 

なんか放送されてる時だけじゃなくて、もう出会った時からずっとそばにに居てくれてる感覚というか、これからもずっとそうなんだろうなと思うからあまり寂しさがないのかなぁ。

 

とかいいながらロス拗らせるんだろうな。

今ロスになっておいた方が絶対に健全だと思うんだけどな。

 

 

この幻のED見て軽率に泣いたし感情ぐぅわーーーって持ってかれた。

 

EDを変える作品ってそんな珍しくないと思うんだけど、ここまで胸にくる(時に抉られる)ようなEDを4パターンも作ってるのは本当に改めてすごいなと...

 

S1のビジュアルブック読んでてもものすごく感じてたけど、愛を持って作り上げられた作品って、やっぱり受け取る側もその愛がちゃんと伝わるんだなぁと思う。

だからこそ愛される作品になってるし、愛され続けるんだろうな。

 

話変わるけど「愛」で言うと、LIGHTHOUSEのエピソード4で源さんが愛について話されていたことがめちゃくちゃに刺さったというか頷いてしまった言葉があって。

 

「愛を発言する時に、周りがどうであれ好きなんだという事のみしか愛の発言として効果がないのではないか」と言うようなことをおっしゃってたんだけど、なんか人生を生きてても推し活してても本当にこれは思うな。

 

「人気出てきたから冷めた、好きじゃなくなった」

「会えないから冷めた、好きじゃなくなった」

 

とか、気持ちはわかるし、好きが故にそういう気持ちになってしまうのもものすごく分かるし、葛藤してそれでも結局「好きだな」に落ち着けば良いと思うんだけど、それで結局気持ちがなくなっちゃうのって、その人に対しての気持ちがそれ位のものだったっていうだけか、もしくは誰に対してもそういう物差しでしか人を好きになれない人なんだろうなぁと思う。

 

SNSやってる以上はやっぱり他者の意見って入ってくると思うんだけど、せっかく好きになれる存在に出会えたんだから一旦立ち止まって好きになった理由を思い返したいなと思うし、自分はブレずに自分なりの推し方で推し活をしたいし、みなしょーのことも愛していきたいなぁと日々思う。

 

なんでもみなしょーに繋げんなよって話だけど、湊さんも、シンの記憶がなくなろうと自分がシンに対しての気持ちを失わなかったのは、本当に愛だよなぁ。

 

あと、エゴイストもそうだけど、自分が「こうしたいから」っていうエゴと、それを第三者から見た時の「愛」って、めっちゃ奥深い。

 

なんかよう分からん内容になったけど、まだブログの下書きがめっちゃある。

 

何話のどのシーンでこの衣装着てるっていうのをひたすらメモってるものがあるんだけど、なんか、そんな自分がキモくて好きです。

 

 

 

 

 

記憶喪失展開について

一番最初に書く記事がこれで良いのか...と思ったけど、個人的にみなしょー2を観ていて一番感情が動いたのが記憶喪失展開だったので、改めて9話からの自分の心情を書き留めておきたいなと思った。

 

めちゃくちゃ正直に言うと、最初は記憶喪失展開を受け入れられないっていうのが本音だった。でもそれには自分なりに理由があって...うまく説明できないけど、「記憶喪失展開が苦手」とか、「ドラマ的すぎる」とか、そういう理由ではなくて「みなしょーという作品で記憶喪失展開になった」っていうことに対してのショックが一番に大きかった。

 

みなしょーを好きになった理由は沢山あるけど、その一つとして日常的なことを描きつつも、その中で起きる抱えきれない負の感情だったりトラウマだったり悩みだったり、誰かのことを強く想う気持ちだったり、誰にも認めてもらえない、でも誰かを愛したいし愛されたいっていう人生の中で漠然と抱く感情っていうのを、繊細に描いているのがとても魅力的だと思っていて。

 

その中で、なんでもない日常(誰かを好きになること、コインランドリーで読む漫画、商店街のコロッケ、夜のプール、スイカシェイク、くだらないことたくさん話して笑ったり喧嘩したり、そういうひと夏)が一生の宝物なんだって、そういうくだらなくてなんでもないようなことが何よりも幸せなんだっていうことを心から感じさせてくれる作品だなと感じたのが、私がこの作品を好きになった理由の一つだった。

 

※余談だけど、私はS1の8話の湊さんがシンを振るシーンで、シンが湊さんに言うセリフ

 

「俺、後悔してません。湊さんを好きになったこと。コインランドリーで読む漫画も、商店街のコロッケも、夜のプールも、スイカシェイクも、くだらねぇことたくさん話して笑ったり喧嘩したり。湊さんと過ごした夏、全部俺の一生の宝物です。でも、最後に一つだけ、これだけは忘れないでください。生涯、俺が好きなのは湊晃ただ一人だけです。」

 

のこのセリフに、私がみなしょーを好きな理由がめちゃくちゃに詰まっていて一番好きかもしれない。という話です。(余談でした。)

 

今まで色んな作品を観てきて、心に響いたり自分に何かを教えてくれる作品って沢山あったけど、みなしょーに関しては全てのシーンやセリフが「掴める」っていう感覚で私は観てて、自分の人生に落とし込めるような、そういう感覚だった。

 

だから、「記憶喪失」っていう「掴めないもの」がいきなりぶっ込まれた感覚になってしまって最初は正直受け入れられなかったし、10話は特に、シーンとかセリフがちゃんと頭に入ってこなかったのを今でも覚えてる...。

 

10話で佐久間先生が、「大切な人の記憶は大切な引き出しの中にしまっておきたいものです。今はその引き出しに鍵がかかってしまっただけなんだと思います。」って湊さんに言うシーンがあったけど、このセリフってすごくみなしょーらしいなと思ったし、シンがS2の8話で「誰にも見られたくないし、取られたくない、"俺の宝物"」言ってたこととも繋がってて、湊さんに今伝える言葉として最適な言葉なんだろうなって思うんだけど、記憶が無くなってしまったのも、しかも湊さんの記憶だけ無くなったのも、きっと「大切すぎるから」なんだろうなっていう漠然とした感覚でしか自分の中で掴むことができなくて。

 

なんで湊さんの記憶だけ無くしたのかっていうのを、ただ「大切だったから」っていうので終わらせるのはなんかモヤモヤしてて、でも最終回を終えて改めてS2を観返してて自分の中で自分なりに解釈ができたからうまく言語化できないと思うけど書いておきたいと思った。

 

誰にも見られたくないし、取られたくない「俺の宝物」のことを忘れてしまったのは、シンは自分の身が危ないってなった時に、自分を守るよりも、自分の中で一番大事なもの(湊さんという宝物との記憶)を無意識に守ろうとして(自分の身よりも咄嗟に自分の子供を守る親みたいな感じ)それによって「自分」っていうものが犠牲になってしまって。

 

大事なものは守られているし、その大切な記憶はどこかに閉まってあるけど、自分自身は傷を負って「自分」を失くしたシンにはその大切な宝物の場所が分からなくて。

でも確かに自分の中にその大切な「宝物」はあるから、記憶がなくても湊さんに惹かれているのは「香月慎太郎は生まれ変わっても湊晃を好きになる」っていう生き物だからっていうのも勿論そうだし、「宝物」がまだシンの中にあるからだとも私は思ってて。

 

「誰にも見られたくないし、取られたくない」の「誰にも」の中には、自分(香月慎太郎)も入ってて、その気持ちだけは残ってるから感情的になって「記憶のない俺のことあっさり捨てたじゃないですか」「いっそ、前の俺のことなんか綺麗さっぱり忘れてくださいよ」

っていう言葉も出てきたんだろうなと思ってて。

 

「記憶がない状態の自分」が

「湊さんという宝物との記憶がある自分」と戦っている(嫉妬してる)シンと

 

「自分との思い出を持っているシン」と

「自分との思い出を失くしたシン」に揺らいでる湊さん

 

っていう、色んな見えない感情が絡み合う関係性を描いてて、記憶喪失モノでもなかなかない展開だなあと改めて思った。

 

「香月慎太郎」という人物像を描く上で、この構図といい展開ってみなしょーらしくなさそうで、めちゃくちゃみなしょーらしいよな、と今だとものすごく思う。

 

「記憶のない俺のことなんてどうでもいいんじゃないですか」ってシンは言ってて、湊さんはそういう意味で「友達に戻ろう」って言った訳ではなかったと思うけど、変わっていく相手、変わっていく自分に戸惑いを感じながらもお互いのことが頭から離れないっていう複雑な気持ちが生まれているのも、12話で2人がお互いの気持ちをぶつけるシーンで描かれていて、改めてあのシーンってみなしょー史上一番複雑な気持ちが絡み合ってるシーンだなぁと思った。

 

湊さんは、しつこく自分に想いを伝えてくれたシンに心動かされて、湊さんも色々変わっていってシンと結ばれることになったけど、

 

「自分のことを好きでいてくれるシン」

「10年もずっとしつこく想い続けてくれていたシン」

 

がいなくて、まっさらな状態の香月慎太郎になってしまったけど、そんなシンに伝えた

「お前の記憶がなくたってどうでもいいよ、そんなのどうでもいい。その分ちゃんと覚えてるから。俺はこれからお前と新しい思い出をまた新しく作っていきたいんだよ。」

「お前がいいっていうまで10年も20年でも待つから」

 

って言葉、前までの湊さんだったら自分のことを好きでいてくれてるって分かってても、色々考えちゃってなかなか前に進めなかったけど、怖がらず臆病にならずに、もしかしたら自分がとても傷つくことになるかもしれないのに。

その「傷つく」っていうのがS1の最終回で「傷つくことから逃げたりしない」って言った時に覚悟していた「傷つくこと」とは多分レベルが全然違う傷を負うかもしれないと分かっていても、一緒にいると決めた湊さんの「愛」を見たなと思った。

 

相手がどうなろうと、香月慎太郎という人間だから一緒に居たい、どんなシンでも受け止めるっていう、湊さんの「愛」に対する考え方が変わったんだなっていう湊さんの変化が描かれていてとても良いセリフ、シーンだった。「一生」とか「絶対」は存在しない、っていう考えがなくなった湊さんをここで見れたなと思った。

 

でもこれは、シンがずっと与えてくれていた「愛」のおかげなんだなと。

人は愛によって変わるし、湊さんが愛に貪欲になれたんだなって思った。

 

シンが、自分と引き換えに大事に守った「宝物との記憶」っていうのは、湊さんの記憶の中にもあって、その湊さんが持ってる「記憶」が鍵になって引き出しが開けれられたんじゃないかなと思う。

 

その鍵っていうのは湊さんしか持ってなくて、シンが必死になって自分の身よりも大事にして守った「記憶」を、湊さんが諦めなかったから、その記憶の鍵を見つけて開けることができたんだろうなと。

 

何回も言うけど、その湊さんが諦めずに開けた「鍵」っていうのは、シンが何よりも大事にしている湊さんに対して愛を与え続けていたからこそ、湊さんが開けれたものだと思うから、過去の自分が湊さんに与えたものが自分に返ってきたのかなぁと思うとそれも感慨深い。

 

佐久間先生が言っていた、

「大切な人の記憶は大切な引き出しの中にしまっておきたいものです。今はその引き出しに鍵がかかってしまっただけなんだと思います。」

っていうセリフが、本当にそうだったんだなという感じ。

その時は漠然としか思えなかったけど、改めて本当に、「失くした」ではなく「大切に閉まっていた」んだなと。

 

もう恋なんてしないと思っていた湊さんの心を開いたのはシンで、

シンの一番大事なものが入った鍵のかかった宝箱を開いたのは湊さんだった。

 

なんかこう思うと、「記憶喪失」という展開はみなしょーに出てくる「湊晃」と「香月慎太郎」という人物にとってあるべきものだったんだなと思うし、湊晃がS1からずっと求めていたものを掴めた出来事であり、起承転結の「転」の部分が大切になった瞬間だったんじゃないかなと。

 

もしかしたら他にも描き方はあったのかもしれないけど、ただの記憶喪失モノの展開ではないなと、今ならそう思うから、受け入れられなかった自分がいたけど今はこの展開あってこそのシーズン2だなと思えてる。

 

記憶を失くしたシンよ、「いっそ、前の俺のことなんか綺麗さっぱり忘れてくださいよ」って言ってたけど、前の君がいたから、前の君との思い出があったから、湊さんは君が一番大事にしていた宝物箱を開くことができたんだよ...よかったね...という気持ち。

 

改めて、本当にすごいものを魅せられたなって、これを書いてて思いました。

 

なんかめちゃくちゃ支離滅裂な内容になってるかも...でもいいや。色んな解釈や考え方があると思うけど、とりあえず今の自分の気持ちを残しておきたい!ということで書いてみた。

 

本当にこの作品に出会えてよかった。

本当にありがとう。

 

またいつかどこかで会えますように。